大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成元年(あ)493号 決定

本籍

福岡市博多区千代四丁目二一番地

住居

札幌市南区川沿五条三丁目四番二八号

医師

比田勝孝昭

昭和三年一一月二二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成元年三月一六日札幌高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人木村治ほか三名の上告趣意のうち、憲法三〇条、三一条、八四条違反をいう点は、実質は、単なる法令違反の主張であり、その余の点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)

○ 上告趣意書

被告人 比田勝孝昭

右の者に対する所得税法違反被告事件(平成元年(あ)第四九三号)の上告の趣意は左記のとおりである。

平成元年八月二九日

主任弁護人 木村治

弁護人 水原清之

弁護人 折居辰治郎

弁護人 田中燈一

最高裁判所第二小法廷 御中

第一 緒論

一 原審が、公訴事実に対し、所得税法第二三八条を適用し有罪の判決を言渡したのは、日本国憲法(以下「憲法」という。)第三〇条、同法第八四条の「租税法律主義」に違反し、ひいては、同法第三一条の「罪刑法定主義」に違反する。

二 前記違反は、所得税法第二七条第一項の「その他の事業で政令で定めるもの」及び同法施行令第六三条第一二号の「対価を得て継続的に行う事業」の解釈を誤り、所得税法第六九条の「損益通算」の適用を排除し、同法第二三八条を適用して有罪とした違反を犯したもので、憲法に違反するとともに、原審判決を破棄しなければ、「著しく正義に反する」ことも明らかである。

三 すなわち、被告人の行った株式取引及び商品先物取引(以下「株式等の取引」という。)は、所得税法上の事業であり、そこから発生する所得は事業所得であって、起訴年度に発生した株式等の取引による各損失と、起訴にかかる北全病院の事業所得による利益とをそれぞれ損益通算すれば、各年度ともほ脱の結果は生じていないので無罪とされるべきを、前記一の「憲法違反」及び前記二の「法令の解釈適用を誤った」ため、被告人に所得税法第二三八条を適用し有罪判決を言渡した。

第二 憲法違反について

一 憲法第三〇条、同法第八四条の「租税法律主義」違反について

1 この概念は、立法面の要請として「租税要件等法定主義」と執行面の要請として「税務行政の合法律性」の両者を言うものとされている。

すなわち、前者は、納税義務者、課税物件、課税標準、課税物件の帰属、税率等の租税要件はもとより、納付、徴収等の手続についても法律においてできるかぎり詳細に規定されなければならないとする原則であり、後者は、税務行政庁は税法律の規定するところに従って厳格に租税の賦課徴収をしなければならない原則であって、税務行政庁の恣意的な判断によって税法の解釈適用がなされてはならないことを要請しているのである。

2 納税義務の有無その他国民の権利義務に関する事柄は、できるかぎり厳格詳細に法律において規定されなければならない主義であり、従って、税法の領域においては、不確定概念又は概括条項、自由裁量規定の導入は禁止されているところである。

3 この観点に立って、被告人の行った株式等の取引に適用され、又適用されるべき所得税法の規定をみるに、直接の罰則規定は、同法第二三八条であるが、所得の有無、すなわち、犯罪構成要素に関する規定は、同法上及び同法の委任による所得税法施行令上極めて不備で、到底「租税法律主義」が要請している規定の体をなしていない。

4 所得税法第二七条第一項によれば、「事業所得とは、農業、………『その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得をいう。』」とされ、同法第三五条によれば、「雑所得とは、利子所得、………事業所得、………のいずれにも該当しない所得をいう。」とされ、所得税法上、事業所得と雑所得とは両立しない関係になっている。

5 所得税法第二七条第一項の委任による同法施行令第六三条によれば、「法律二七条第一項(事業所得)に規定する政令で定める事業は、次に掲げる事業とする。」とし、その第一二号に「前各号に掲げるもののほか、『対価を得て継続的に行なう事業』」とされており、同法第二七条第一項及び同法施行令第六三条に例示されている各種の代表的事業形態以外に事業所得となりうる事業の存在を認めながら「対価を得て継続的に行なう事業」とするのみで、それ以外の規定は存在せず、不確定概念ないしは概括条項のみとなっている。

同じく税法の規定である地方税法の「事業税」については、同法第七二条に各種事業が列挙され、更に同法で委任した同法施行令第一〇条の三ないし第一五条の二において、その業種が確定概念ないし個別条項として規定されている。

なお、国税関係については、「国税庁長官の通達」があり、本件についても存在するが、この通達は、国家行政組織法第一四条第二項の「………各庁の長官は、その機関の所掌事務について、命令又は示達するため、所管の諸機関及び職員に対し、訓令又は通達を発することができる。」とする規定に基づく通達であって、租税法律主義にいう法律には該当せず、ましてや、この通達が国民を規制するいわれはないのでここでは触れない。

6 所得税法による課税上、ある行為による所得が、「事業所得」であるか「雑所得」であるかにより重大な差異のある場合がある。すなわち、所得税法第六九条第一項によれば、「総所得金額、………を計算する場合において、………事業所得の金額の計算上生じた損失の金額があるときは、これを他の各種所得の金額から控除する。」との「損益通算」の規定があるからである。

被告人の本件株式等の取引が事業と認定されれば、右規定の適用を受け、ほ脱したとされる税金は課税されないことになる。

7 ところで、所得税法施行令第六三条第一二号の「対価を得て継続的に行なう事業」とする法文をいかに解すべきかは、前述の租税法律主義のもとにおいては、当然に文理解釈によるべきであり、その場合、同条第一号ないし第一一号に掲記されている諸種の事業との対比において解釈すべきであり、それ以上に制約的要素などを導入するべきではなく、結論的には、事業の結果は別として客観的に「営利を目的として反復継続的に行う経済行為」で足りるものである。

8 原審判決は、被告人の行なった株式等の取引が、右の「対価を得て継続的に行なう事業」に該当すると認められるためには、「当該株式等の取引が営利を目的として反復継続して行われることを要する」ほか、『相当程度の期間継続して安定した収益をあげうるなど社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を具備したもとで行なわれていることが必要である』との新たな要件を付加し、その判断のために数々の要素を設定し、これに該当しないと結論づけているが、このような新たな要件と要素を設定することは、租税法規の拡大ないしは類推解釈であって、租税法律主義からは到底許されることではなく、あたかも、裁判所が立法しているに等しい結果になっている。

9 右の「対価を得て継続的に行なう事業」を前記7の基準で解釈すれば、被告人の行為は「事業」に該当するものであるに拘らず、これ以外に法律に規定のない前記要件、要素を設定し、これを否定した原審判決は、憲法の要請する租税法律主義に違反し、その結果同法第六九条の損益通算の規定を適用せず同法第二三八条の規定を適用して被告人に有罪を言渡したのは明らかに憲法に違反する。

二 憲法第三一条の「罪刑法定主義」違反について

1 所得税法の罰則である同法第二三八条は、所得税ほ脱罪の犯罪概念と刑罰の範囲を明らかに規定しているので、罪刑法定主義の要請を満たしているものといえる。

2 しかし、同条にいう「所得税を免れた者」とされるためには、その者の所得の種類、その有無とその多寡が確定されなければならず、それは所得税法第一二〇条、同法第二七条、同法施行令第六三条の解釈に係っている。

これら所得税法の条文は、刑罰の構成要件を定めたものではないとはいえ、それが被告人に刑罰を課する刑事裁判の前提である以上、刑罰法規と同様厳格な解釈をすべきであることは、罪刑法定主義の当然の帰結である。

3 ところで、被告人の株式等の取引が事業であるかどうか、従って、その所得が事業所得か雑所得かの認定は、所得税法の諸規定によって判定されるべきものであるところ、この点に関する同法令の規定は、先に租税法律主義の観点から叙述したように、所得税法第二七条第一項及びなかんずくその委任を受けた同法施行令第六三条第一二号の「対価を得て継続的に行なう事業」とされているのみであって、他にこれに関する規定はない。

4 しかるに、原審判決は、右の「対価を得て継続的に行う事業」の解釈を、前記第二の一の8で述べたように、法律に規定のない「相当程度の期間継続して安定した収益をあげうるなど社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を具備したもとで行われていることが必要である。」との要件を付加して限定的に狭く解釈しているが、このことは、同法施行令第六九条の損益通算の規定を介し結果的には同法第二三八条の刑罰を拡大して解釈することになっているのである。

5 このように事業性の認定を限定解釈することにより刑罰法規が拡大して適用されることは、同法第二三八条にいう「所得税の額」が、右の損益通算を認めないことにより、大きくなり、従って、「免れた」という解釈を不当に拡大することになるのであって、法の要求していないものを裁判所が要求していると言えるのではなかろうか。

このことは、法が定めた枠以外に裁判所が犯罪成立の可能性を認めたことになり、罪刑法定主義の立場からは到底許されるべきことではない。

6 この観点に立って考察するに、原審判決は、同法第二三八条、同法施行令第六三条を解釈するにあたり、法律的文理解釈の枠をはみだし、法律に規定のない要件を設定し、その要件に適合するか否かの判断のためとして幾多の要素を掲げ、被告人の行なった株式等の取引の事業性を認めないこととしたもので、言わば、裁判所による構成要件要素の設定、換言すれば、裁判所による立法と申しても過言ではない。

7 かかることが許されるべき筈はないのであるが(加えて、この設定された要素の内容も後に述べるように、幾多の非合理性がある。)、原審判決は、右の法律に規定のない要件を作出し、被告人に対し、同法第六九条の損益通算の規定を適用せず、同法第二三八条の罰則規定を適用して有罪の判決を言渡したのは、罪刑法定主義に違反し、明らかに違法に違反する。

第三 判決に影響を及ぼすべき法令の違反及び重大な事実の誤認があり、原審判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

一 法令違反について

原審判決は、所得税法第九条・同法施行令第二六条、同法第二七条・同法施行令第六三条、同法第二三八条の解釈適用を誤っている。

1 有価証券の譲渡による所得は(本件では株式取引部分)、所得税法第九条により原則として非課税であるが、継続的取引による所得は課税の対象としており、同条ではその所得が事業所得か雑所得かの区別はしていない。

しかし、同条第一項第一一号イの委任による同法施行令第二六条の第一項によれば、一定の要件(売買回数・数量・金額・種類・資金調達方法・施設・その他の状況)を充足したものは、「営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする。」として、当然事業所得としての課税を行うことを前提としている。

その上、同条第二項では、その年中における株式の売買が、〈1〉回数五〇回以上、〈2〉株数合計が二〇万以上の要件に該当するときは、「前記第一項の規定する取引に関する状況(前記カッコ部分)がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は、同項の規定による所得とする。」としている。すなわち、「営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得」となる旨を規定している。従って、結局右第二項に該当する取引による所得に対する課税は、事業所得課税の対象となる旨を明らかにしているのである。

起訴にかかる被告人の各年度の株式取引回数とその株式数、優に右〈1〉〈2〉の要件を充足しているのであるから、右法文の文理解釈上、その所得は当然事業所得となるべきものである。原審判決はこの点で法令の解釈を誤っている。

2 所得税法第二七条、同法施行令第六三条第一二号は、「対価を得て継続的に行なう事業」とされており、そこに何らの制約がなく、この規定を同条の第一号ないし第一一号に掲げられている「事業」の例示から演繹される解釈をしても、そこに特別の要素を持込む必要もないのに、原審判決は殊更に多数の立法とも言える要素を設定して、事業性を排斥したものであるが、明らかに法令の解釈適用を誤ったものである。

3 原審判決は、「株式等の売買回数、売買した株式等の数量・金額、取引期間等に徴すれば、本件株式等の取引が営利を目的として反復継続して、しかも多数回にわたり大量に行われたものであることは肯定することができる。」としている。

本件に対する右の認定は、同施行令第六三条第一二号にいう「対価を得て継続的に行なう事業」と認定したに等しく、法文の解釈としてこれ以外に制約する要素を考慮する余地はないというべきである。

二 重大な事実誤認について

1 仮に、原審判決の事業性認定の要素とされている事項を検討してみるに、

〈1〉 その要素自体が事業性認定の要素として相応しくないもの、また、それが疑わしいものがあること

〈2〉 その要素に対する本件の適用について重大な事実誤認をしていること

などがある。

2 原審判決は、「当然のこととはいえ、本業である大きな規模の病院の院長としての業務(ただし、患者の診療行為については、本件当時特段の事情のない限り他の医師に任せていた。)に支障を来さない程度と範囲にとどまっていた」としている。

この表現からは、言うところの真意を正確に判断することはできないが、つまるところ、被告人は、病院事業の経営、その業務全般の統轄のため多忙で、株式等の取引に当てる時間的余裕はそれ程なかったとしているものと考えられる。

(一) 被告人の経営の北全病院は、ベッド数が二百数十床の精神病院としてはかなりの規模を持つ病院で、相対的なものといえ、原審判決のように大きな規模の病院の部類に属するところである。

(二) 被告人は、開設者兼管理者(院長)として、病院事業の経営、その業務全般を統轄していたことは事実であるが、その業務内容の繁簡を同規模の一般病院のそれとの比較で判断されるべきではない。何故ならば、原審証人有田矩明元北全病院医師の証言及び被告人の原審における供述により明らかなように、北全病院が精神病院であるがため数々の特殊性があるからである。

(三) すなわち、入院患者はいずれも長期療養を必要とするもので、一般病院のように入退院が頻繁に行われることはなく、外来患者は殆どなく、手術を要する患者もなく、比較的緊急な業務としては、警察、福祉事務所等から入院を要請されることであったが、昭和五六年当時は病院開設後八年が経過し、病院事業は軌道に乗っていたうえ、この対応は医師・職員が一致協力して受入れ体制を確立していたのである(原審で提出した現北全病院精神科専門医慈性隆義作成の上申書参照)。

(四) しかも、原審判決も認めるように、被告人は患者の診療行為をしていなかったので、原審判決のいう恒常業務である職員の人事管理、事務・経理等の書類の決裁、支払小切手の振出などの業務は、被告人が原審の法廷で述べているように、短時間で処理できる程度の事務量であったため時間的余裕は十分にあったのである。原審判決は明らかに事実誤認である。

(五) なお、この点について、被告人は身体のひよわな医師ではなく、健康に恵まれた精力的、活動的、決断力に富む人物であることも余裕を生む源泉になっていることを付言しておきたい。

3 原審判決は、株式等の取引の施設について、「院長私室や河野喜美子の居宅を利用していたが、右各室には株式等の取引施設であることを示す表示などなく、また、他に特定の事務所を設けたりしたこともなかった」としている。

(一) 被告人の行なっていた株式等の取引は、電話を用いることが主で、不特定な客が訪れることはなく、証券会社等の特定の外務員らが訪れるのみであったから、院長私室や河野喜美子の居宅に取引施設の表示を掲出することの方がむしろ異常とも言うべき業態の事業であった。

(二) また、他に特定の事務所を設けたことがなかったとするが、院長私室や河野喜美子の居宅は、被告人の日常の行動範囲内にあったため、緊急を要する証券会社等との相互の連絡も能率的で、即刻の対応にも応じられるものであって、他に特定の事務所を設置すれば、被告人がそこに拘束され、院長業務のみならず、証券会社等からの連絡にも不便を来たしたであろうことは容易に理解することが出来るであろう。

原審がこの点を要素として取り上げた真意が奈辺にあるのか理解に苦しむところである。

(三) この施設については、事業税に関する地方税法第七二条第四項の規定にご注目を願いたい。同項には、「事務所又は事業所を設けないで行う第一種事業、第二種事業、第三種事業については、その事業を行う者の住所又は居所のうちその事業と最も関係の深いものをもって、その事務所又は事業所とみなして、事業税を課する。」とあり、その第五項以下に多数の事業名を掲げている。すなわち、同法は施設を持たない事業を予定しているのである。

(四) この種事例は多数存在するが、その一例として、個人で特定の顧客を訪問して貴金属宝石類を販売しているものがいる。明らかに、所得税法施行令第六三条第七号の小売業であって事業として行なっているものであることは何人も疑わないところである。一般に、この種業者は店舗を持たず自宅を根拠にして活動しているが、自宅にその旨の表示をしているであろうか。同じ貴金属宝石類を販売している小売業者でも、一般の顧客に販売しているものは店舗を構え、その旨の表示をする等、同種業者でさえ業態の相違によって施設を必要とするもの、必要としないものがある。

取引施設の表示及び特定の事務所の設置を事業か否かの判断要素とした原審判決が誤りであることは明らかである。

4 原審判決は、「従業員を特別に雇用したり、あるいは専門的な知識と経験を有する専門家を雇用したりしたことはなかった」ことを要素の一つとしている。

(一) 被告人は、医師であるが、本件証拠資料により明らかなように、昭和三五年以来北全病院開設の一年間を除いて毎年株式の取引を行なっており、本件の時期を含む一〇年間には延べ約一〇億円の資金を投入しており、取引方法も現物取引から信用取引に重きを置くようになるなど、その知識、経験は極めて豊富で、その基礎は昭和三三年から八年間勤務した第一生命保険会社医務部時代に培われたものであった。すなわち、同保険会社が機関投資家として株式に大量投資をしていたのを見習って研鑽を積み、自ら投資活動を始めて今日に至ったものである。

(二) 本件の昭和五六年頃には既に二〇年余の間株式取引を行なった実績と経験を持っていたのであって、その知識、経験はもとより取引量と金額においても素人の域を遙かに超え、言わば、被告人が専門家であった。

原審判決の専門家というのはどのような経験者を言うのであろうか。

(三) なお、従業員を雇用しなかったとするが、株式等の取引については、被告人自身が相場その他の情報を入手し研究するのに時間をかけることはあっても、注文関係は、被告人が電話や証券会社等の外務員の来訪時に直接依頼していたのであって、従業員を使うことはなく、従業員の仕事しては留守番と周辺の雑務(グラフ作成等)を処理するだけのため、河野喜美子や病院従業員の協力を得ることで十分であり、他に従業員を雇用する必要はなかったのである。

(四) 原審判決のいう、従業員を雇用したり、専門家を雇用したことがなかったとするのは、株式等の取引の実態を全く理解していない机上の論に過ぎず、事実誤認とともに、この点が要素にならないことも明らかである。

なお、前記3の(三)に述べた個人の訪問販売には従業員雇用の必要性はなく、雇用しなかったからといって事業性を否定されることはない。

5 原審判決は、「所得税第二二九条に基づく開業の届出をしていないうえ、帳簿の作成もせず、税務申告もしていない」ことを要素の一つにしている。

被告人が、これらを実行していなかったことはその通りであり、この点は誠に申し訳ないところである。

しかしながら、

(一) 同法第二二九条の開業の届出は、会社関係は別として、個人の関係では弁護人らが調査したところでは殆ど実行されておらず空文に等しいのが実情である。

(二) 帳簿の点は、この種の株式等の取引は、証券会社等と被告人との間で、代金の決済を始め、預り証の授受、手数料の請求、信用供与の金利等があるため、証券会社等はこれらの詳細をコンピュータに入力して保管し、当然のことながら、その都度所要の報告、受領書等の明細を顧客に送付して取引の明確化と過誤の防止に務めており、また、顧客の要望があれば直ちに回答できる体制を整えている。

株式等の取引に関する詳細は、全て受領書、伝票、報告書等に形を変えて被告人の手元に送られているので、これらを整理しておけば、帳簿等の代用としてその機能を十分に果していたのである。なお、資金量、取引量は大きいが、被告人の取引の一回の取引金額、量が大きいため、伝票類の数としては比較的少なかったことを付言しておきたい。

(三) 税務申告をしなかったことは非難され、被告人はこれを甘受しなければならない。

しかし、仮に、被告人が株式等の取引は事業であるとして、所得あるいは損失として税務申告をし、税務署によって受理されたとしても、貴裁判所の判例(昭和六二年一〇月三〇日、第三小法廷判決、判例時報一二六二号九一頁)によれば、税務署が事業と認定したことにはならないのである。

してみると、事業か否かは、申告の有無ではなく、所得税法上の法律解釈により客観的に決められるべきであり、被告人の意思の表明に過ぎない申告によって左右されるものではないので、この点を要素とした原審判決は納得できるものではない。

6 原審判決は、「被告人の生計の資は、病院の収益によっており、株式等の取引の収益はこれに当てられていなかった」ことを要素の一つとしている。

理解に苦しむ要素である。個人の事業は、税法上一種類の事業以外認めない税制ならばこれが要素になることは了解できるが、異種の事業を営んでいる個人は多く、そのいずれもが本業の場合、一方を副業にしている場合等種々様々の形態がある。

例えば、副業として貸間、あるいは、独立家屋を貸付けている場合、前者については客数一〇以上、後者については五棟以上の場合、一般に不動産所得を生ずべき事業として認められている(国税庁長官通達二六-九参照)。

ところで、この個人が生計の資を異種の本業による収益で賄い、家賃収入は、賃貸建物の修繕費用として別途積立てていた場合は、原審判決のこの要素によれば事業として認められない可能性がある。

この場合、本業の所得と家賃収入の所得を一旦混在(例えば、銀行預金)し、その中から生計の資と修繕費用を支出した場合は、家賃収入を生計の資にしたと言うのであろうか。生計の資の出所による判定基準は全く根拠のないものである。

7 原審判決は、「従前から手元にあった隠し資金を架空人名義、他人名義の取引口座に分散し、更に医薬品の架空取引による返戻金を隠し所得とし、これら隠し資金と隠し所得を株式等の取引の資金に当てていた」ことを要素の一つとして掲げている。

被告人が隠し資金及び所得を作出したことは、大いに責められるべきことであり、そのことにより刑事罰を受けたり、責任を負うのは致し方がないが、そのことと被告人の株式等の取引が事業であるか否かとは直接の関係はなく、せいぜい本件の悪性の情状になるものと言うべきである。

従って、要素として取上げることは出来ないものと考える。

8 原審判決は、更に、「株式等の取引は極めて投機性が強く、委託手数料や金利等多額の経費負担を必要とし、相当程度の期間継続して安定した収益をあげうる可能性が極めて低い」ことを認定している。

証券取引法は、その第一条に、「国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、………有価証券の流通を円滑ならしめることを目的とする。」とし、投資家の保護を図っているが、原審判決の株式等の取引に対する認識は、未だに株式投資は「ばくち」であるとの認識の域を出ておらず、これでは、今日の証券取引所における株式売買の実状とその盛況ぶり、我が国の産業活動発展に寄与した功績を無視するものと言うべきである。

これは、個人の投資活動が活発になったことにもよるが、先にも触れたように、機関投資家と称せられるものが多いこと、保険会社その他が大々的に株式投資を行っていることによっている。若し、原審判決のような認識に立てば、いかに資金量が豊富であっても、赤字から倒産に至る保険会社等が続発している筈である。

なお、株式の価額が永年に亙り上昇傾向にあったことは経済界においては公知の事実である。

9 原審判決は、以上のような諸事実を総合して判断したとして次の様に結論している。

「被告人は、北全病院の開設者兼管理者(院長)を本業とし、同病院の経営、管理に従事し、生計の資をもっぱらその収益によって得るかたわら、前記隠し資金と隠し所得を資金に用い、投機的運用の方法として株式の取引を行っていたものであり、その取引をくり返すことにより相当程度の期間継続して安定した収益をあげうる可能性などなく、また、特にそのための物的組織や人的組織を備えたということもなく、したがって、回収を必要とする投下資本もなければ、人員整理の必要もなく、その意味でいつでも自由かつ簡単に取引の継続を終了させることも可能であった。すなわち、被告人個人の投機的な利殖活動が証券会社等の客として大規模にくり返されていたにすぎず、そこから利益が生じたとしても機会的であり、他に社会的実在性はなかったことに徴すると、社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を具備したもとで行われていたとは認めることができない。」とした。

(一) 右の結論のうちの大部分は、原審判決が設定した要素に基づいているが、その要素が判定基準として、相応しくないものであること、あるいは、疑わしいこと、更には要素に対する本件の適用に事実誤認のあることを詳述したため、これらを総合して判断した場合、右原審判決の結論に至らないことは明らかであると確信するが、先に触れなかった部分について述べておきたい。

(二) まず、「相当程度の期間継続して安定した収益をあげうる可能性などなく」とする点について

(1) 原審判決は、その論拠として、被告人の過去の株式等の取引によって収益を揚げた年度は微々たるものであり、他の年は多額の損失を出していることによっても合理的に推認することができるとしている。

被告人が損失を出したのは原審判決の指摘する通りであり、事柄によっては結果から推論することが正当である場合がある。しかし、事業性の有無についての判断を結果から推認するのが正しいとすることはできない。

(2) およそ事業を始める者は、赤字覚悟で開始する者はなく、精々当初だけは赤字覚悟でも、相当程度の期間内には黒字になるものと考えて開始している。しかし、志と異なり当初から赤字続きで挫折するもの、当初は時流に乗って黒字でも次第に赤字に転落するもの、赤字、黒字が波になってくり返されるものなど多種多様である。

原審判決は推論によれば、このうち当初から赤字続きであったもの、当初黒字でもその後赤字に転落しそれが続いているものは、少なくとも事業性は認められないことになりかねない。

赤字続きでも事業であり、ただ、損失続きのため所得税を納める必要がないというに過ぎず、事業性に消長は来さないというべきである。

(3) このことは、相当程度の期間継続して収益をあげうる可能性というのは、社会的に相当期間継続して利益を上げて運営可能と一応客観的に認められれば、赤字続きの時期があったとしても、事業として社会的に存在を認め得ることを証明しているのであって、原審判決の右の推認論は当を得ていないというべきである。

(三) 次に、原審判決は、「回収を必要とする投下資本もなければ、人員整理の必要もなく、その意味でいつでも自由かつ簡単に取引の継続を終了させることも可能であった。」としている。

(1) これは、原審判決のこれ以下の叙述である「社会的実在性はなかった。社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を具備していない。」との結論を導き出すための前提と考えられる。

(2) 前記第三の二の3の(三)に例示した個人で貴金属宝石類を訪問販売しているものは、この命題と全く同様のことが言えるが、営業の間は事業と認めるべきものと考える。

私事に近く恐縮ながら、某弁護士の例をあげたい。永年公務員として勤務し、退職後無職であることを嫌い、弁護士登録をしたが、事務所は持たず、自宅で看板も掲げず、事務員も雇わず、知人、縁者等の法律相談に応じている人がいる。回収すべき投下資本もなければ、人的設備、物的設備も備えておらず、この収益を生計の資にしておらず、相当程度の期間継続して安定した収益をあげうる可能性などなく、弁護士はいつでも自由かつ簡単にやめられる立場の方がおられる。事業とは言えないのだろうか。

(四) 原審判決は、「被告人個人の投機的な利殖活動が証券会社等の客として大規模にくり返されていたにすぎず、そこから利益が生じたとしても機会的であり、他に社会的実在性はなかったことに徴すると、社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を具備したもとで行われていたとは認められない。」と結論づけている。

(1) これらのことについては、これまで論じてきたことで直接間接に反論は尽きていると考えるが、右のうち、「投機的な利殖活動が、証券会社の客として大規模にくり返されていたにすぎない」とする点に触れることとする。

(2) 「投機的な利殖活動」とされているが、およそ事業特に個人の事業には、大小の差はあるにせよ投機的な面があることは否定できないところである。

それゆえにこそ、冒険をして荒稼ぎをする場合、あるいは、やりすぎて損失を被ることがあるのであって、殿様商売を念頭に置いて個人事業を想定するべきではない。

(3) 昨今インサイダー取引が問題になっているが、この様な取引を除けば、上場株式、店頭株式の取引は、証券会社を通じて行うのが正常な姿であり、原審判決の言わんとすることは把握し難いが、前述の保険会社等は、この 証券会社を通じ客として大々的に取引しているのである。

(4) 「社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を具備したもとで行われていたとは認められない。」と結んでいる。

原審判決は社会通念上としているが、これは原審が各種の要素を設定し、その要素に本件の事実を当てはめ、それにより社会通念を導き出されたものと考えられるが、これまで述べてきたように、その要素自体に問題があったり、事実の誤認があるなど、原審判決の社会通念は、甚だしく疑問が多く到底賛同できないものである。

10 前記の「事実誤認」欄3・4・5・6・8で、原審判決が設定した事業性認定のための各要素は、各事項部分で記載のとおり、株式等の取引の実状と実態を認識していないものであって、右の点は経験法則にも違反した判断である。

第四 むすび

原審判決には憲法違反がある。また、法令違反に加え事実誤認があり、それが重大で原審判決を破棄しなければ著しく正義に反しているので、原審判決を破棄の上、無罪とされるか、原審に差戻しされたく上申した次第である。

以上

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